青山 裕企Photographer
Aoyama Yuki
●PROFILE
1978年、愛知県生まれ。2000年 写真ユニット「愉快ハンズ」として活動開始。2005年 筑波大学第二学群人間学類心理学専攻卒業、ユカイハンズ(青山裕企写真事務所)を設立。2007年 キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。2010年 写真集『スクールガール・コンプレックス』(イーストプレス刊)上梓。のちにシリーズが累計10万部を突破。2012年 初の実用書『ガールズフォトの撮り方』(誠文堂新光社刊)上梓。2014年 『ガールズフォトの撮り方 新しい構図』(誠文堂新光社刊)上梓。2015年10月 東京・早稲田にユカイハンズ・ギャラリーをオープン。
覚悟を決めたら、死ぬ気でやるだけ。
大学在学中に「自分には写真しかない」「写真家としてやっていこう」と覚悟を決めて上京し、就職活動をいっさいせずに独立。切実さを込めた作風と独自の仕事術を確立させることに成功した青山裕企さん。「人見知りで、営業活動はもちろん、人が大勢集まる場での売り込みも苦手」という青山さんならではの仕事の流儀について伺った。
(聞き手/クリエイターズ・バリュー編集部 文・中山薫)
苦手な営業をSNSとオフ会で克服
●もともと写真の勉強をされていたんですか。
青山:いえ、独学で始めました。ジャンプ写真のシリーズは、大学1年の時に撮り始めました。当時はいまほど写真を撮っている人がいなかったので、ジャンプしている人ばかり撮って「変わったヤツ」というのが周囲からの評価。そういうアイデンティティのようなものを確立したくて、夢中で撮っていました。
はじめは写真を仕事にすることには抵抗があって、当初は別の仕事に就こうと思っていたんですが、しだいに「これ(自分が好きで撮っているもの)を仕事にしなくては」と思うようになりました。
そんな迷いがふっきれたのは、ジャンプ写真を撮り始めて4年が過ぎた時。世界2周の旅の道中でした。2周するなかで自分の将来の道を必ず見つけると決めて出た、バックパッカーの旅。自分と向き合うなかで思考がどんどんシンプルになって、ついに「写真しかない」「写真家としてやっていこう」と決意したんです。
「作品を撮り続け、その延長に仕事があるような生き方を目指そう」と。結果として、それが現実になりました。
●大学を出ていきなり独立というのは、すごい思い切りでしたね。
青山:「自分の作品で食べてゆく」という覚悟をしていたので、就職活動はいっさいしていません。人脈も収入も、ゼロに近い状態からのスタートでした。大学を卒業する1年前に上京して、毎月のように、都内のレストランやカフェなどで作品展をさせてもらっていました。すぐに仕事が来ることはありませんでしたが、作品を見た人の反応が得られて、少しずつ写真家への道を登っている感覚はありました。
歩合制のアルバイトやネットショップの仕事などをして、最低限の収入と撮影の時間を確保するようにしていました。ふつうなら写真スタジオで働いて、撮影やライティングの技術を身に着けようとすると思いますが、私は職業カメラマンを目指していたわけではないので、スタジオで働いたこともありません。また、人と接することが苦手だったので、積極的に営業に出かけたこともありません。
●となると、プロとして初めての仕事は、いったいどうやって受注したんですか。
青山:当時まだ目新しかったSNSです。自分の作品を印刷した名刺をオフ会で配っていたら、それを見た人から「写真入りの名刺をつくって」と頼まれたり、結婚披露宴の撮影を頼まれたりして、カメラマンとして仕事を受けるようになりました。
大勢の人が集まるオフ会は、人見知りな自分を鍛えるための修行でもあったんです(笑)。人物を撮る以上は人と関わらなければいけないし、写真を通して人とコミュニケーションを取りたいという気持ちもあったので、苦行ではありませんでしたが。
何度か参加するうちに、自分でもオフ会を企画するようになりました。小沢健二ファンのオフ会を企画したところ、集まったなかに舞台役者や音楽関係、クリエイターなどがいて、名刺交換をするうちに人脈が広がったんです。
当時はまだ仕事というより、知り合いから頼まれて撮るというレベルでしたが、そのなかで気づいたことがあります。それは、自分にうまく撮れないものは撮るべきではないということ。たとえば料理写真を頼まれて撮ると、納品するのが後ろめたくなるほど下手なんです。それでもう人物しか撮らないと決めました。まともな収入はないけれど、人物以外の撮影は断ることにしたんです。
そういう不安定な状況でありながら、なぜか「大丈夫」「地道に登っている」という確かな感覚がありました。作品展で自分の作品を見て面白いと言ってくれたり、認めてくれる人がいたおかげかもしれません。不安に負けて自分の軸がブレるのが一番いけないことだと思っていました。
自分を追い込むことから生まれた作品で受賞
●営業活動はSNSだけだったんでしょうか。
青山:人と会って話すのはどちらかというと避けたかったので、DMを活用していました。自分の作品のポストカードやパンフレットをつくって、あらゆる雑誌の編集部などに500件くらい送りました。
作品展もずっと続けていました。東京に来てからはジャンプしてくれる人も友達だけでなく、役者やモデルなど幅広くなったので、そろそろきちんとした形で発表したいという思いが強くなっていて、2005年の年末に初めてギャラリーで個展を開きました。
翌年にはアルバイトもやめて、父が病気で倒れたのを機に、ソラリーマン®(※1)を撮りはじめ、スクールガール・コンプレックスを着想。そして、大きなターニング・ポイントになったのが2007年(29歳の時)です。結婚したての頃でしたが、まだ妻の収入に頼る部分が大きかったんです。そこで「勝負の年」と位置づけて、一年間コンペに出して全く引っかからなかったらやめようと決め、死ぬ気で作ったんです。
私はもともと自分を追い込むことで力を発揮するタイプだと思います。そういう時に進む方向の正しさと、発揮する力の強さには自信があります。やると決めると、当然ながら作品との向き合い方も変わります。こういう時の発想こそ、表現の極みと言っていいかもしれません。いま見ても、当時の自分の作品には切実さが込められていると思います。
※1ソラリーマン®
2006年に青山裕企が制作を開始したシリーズであり、“空を跳ぶサラリーマン”の愛称。現代社会を静かに担うサラリーマンにスポットを当てて撮影している。
●そして、見事に結果を出したんですね。
青山:キヤノン「写真新世紀」には制服姿の女子学生を撮ったシリーズ9点を、いっさい妥協のない最高のクオリティに仕上げ、額装して出品しました。それが優秀賞を受賞したんです。千人以上の応募から選ばれるのは毎年5、6人という狭き門ですから、大きな達成感がありましたね。いっぽう、トーキョーワンダーサイト(※2)の「トーキョワンダーウォール公募2007」は、ソラリーマン®の作品で選ばれました。女子学生とソラリーマン®、どちらも評価されたのが、自分にとってとても大事なことでした。
※2トーキョーワンダーサイト
東京から新しい芸術文化を創造・発信するアートセンター。若手クリエイターの発掘・育成・支援や、さまざまなジャンル、ステージのアーティストによる展覧会などを展開。
●そこから一気に忙しくなられて。
青山:少しずつですね。受賞をきっかけによりよい仕事ができるようになりました。また無名の頃と違って、個展を開くと仕事のオファーが入るようになりました。
2008年に、それまで制作していたソラリーマン®やスクールガール・コンプレックスの個展を同時に開催したところ、どちらも写真集のオファーをいただき、写真集の出版につながりました。
写真集が売れてからは、あまりにもトントン拍子で、「うまくいきすぎている」と思う部分と、「覚悟を決めてやってきたのだから自然な流れだろう」と思う部分がありました。それよりも、消費されてすぐに飽きられることへの不安や恐怖が大きくて。作品が飽きられないようにするために、しばらくは実用書やエッセイなどを書いて、女子学生系の写真集は意図的に出さないようにしたり、ネットにもあまり作品を出さないようにしていました。
2011年、吉高由里子さんのフォトブックの撮影がきっかけでグラビアの仕事が入るようになりました。グラビアは大御所のカメラマンから弟子へと引き継がれるのが一般的なので、そこに食い込めたことは大きかったと思います。
ブレない軸を持てば、迷いや不安に負けずにいられる
●今後の展望は。
青山:スクールガール・コンプレックスとソラリーマン®は、どちらも「記号」と「個性」がテーマなんです。女子学生は、記号化することで個性を消している。ソラリーマン®はその逆で、記号的な存在の持つ個性に光を当てている。このテーマを深めていきたいと思っています。当初は自分と人(女子学生あるいはサラリーマン)という主観的な視点で撮っていましたが、いまは人と人(女子学生同士あるいは娘と父親)という客観的な視点で撮るようになっています。
独立した当初は自分の作品だけで生活していくのが夢でしたが、いまはコマーシャル系の仕事もたくさん受けていて、それを手放してまで作品しか撮りたくないとは思いません。作品10:仕事0を目指すのではなく、作品10:仕事10を目指したいんです。
最近は海外で制作するなど、活動範囲を広げています。資金面の負担はありますが、それによって返ってくるものも大きいし、海外での活動は己の野心が枯れないようにするためでもあります。
昨年はギャラリーを持つという夢を実現させました。ワークショップなどで賃料を回収し、他は多目的スペースとして活用しています。もともと自分でオフ会を企画していたくらいなので、ギャラリーも自分が仕掛け人になってキュレーションできたらと思います。
●写真も映像も技術がどんどん進歩していますね。これからのカメラマンは、動画もスチールも両方撮れないといけないでしょうか。
青山:いまは誰でもきれいな写真が撮れる時代なので、私と同じようなデビューのしかたは難しいかもしれません。撮影機材にしても、インターネットのSNSにしても、新しいものが出てくるたびに手を出していたらきりがありません。それよりもまず、写真なら写真、動画なら動画と、基本をしっかり身に着けて、自分のスタイルを確立すること。ブレない軸が1つでもあれば、迷いや不安があっても負けずに頑張り続けられますから。
ちなみに私の事務所は毎年春にアシスタントを採用して、1年で卒業・独立するというシステムです。独立してからもサポートしながら、仕事を紹介することもあります。アシスタント採用のポイントは、人間性。どんなに写真を撮るのがうまくても、性格が悪かったり、ウソが多いなど、人として信用できないようではダメです。一人ひとりの作品に個性があるとしたら、それを輝かせるのが人間性なんです。