Creator's Value クリエイターズ・バリュー

SEIBUNDO SHINKOSYA PRESENTS

芳野

芳野Illustlator

Yoshino

 

●PROFILE
東京在住。セツモードセミナー卒業後、3年間渡仏しパリでリトグラフを学ぶ。
2004年よりイラストレーターとして活動中。
最近の仕事として『不安なあなたがゆっくりラクになるメッセージ』(書籍)『天然生活』(連載)、オルビス化粧品(連載)、nunocoto(テキスタイルandベビー用品)、映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』、サントリーの広告などがある。

好き嫌いで描くのではなく 人に与える印象を想像しながら描く

好き嫌いで描くのではなく
人に与える印象を想像しながら描く

やさしい色使いと、温もりを感じさせるモチーフが印象的な芳野さんの作品の数々。見る人に安心感を与えてくれることから、子育てや化粧品のパンフレットなどに起用されることも多いとか。「色」と「面」の表現を最大限に生かした、リトグラフならではの世界観。替えがきかない、イラストレーターという仕事のやりがいと苦労とは。
(聞き手/クリエイターズ・バリュー編集部 文・中山薫)

当初の憧れは漫画家、挿し絵画家

●いつ頃から絵を描いていたんですか。

芳野:父は現代音楽の作曲家、母は音大出身という家で、私もピアノを習っていました。同じ時期にお絵かき教室にも通っていて、続いたのがお絵かきのほうでした。

絵が特にうまかったわけではなくて、学校の5段階評価もふつう。でも、描くのは子どもの頃から大好きでした。お姫さまのような架空のキャラクターや、テレビアニメのキャラクターを写したり。中学時代はマンガ家になりたいと思い、少女マンガのタッチの絵をたくさん描いていました。

親は、音楽でなくても芸術的なものに触れてくれればいいと思っていたようで、私をゴッホ展のような絵画展によく連れていってくれました。
私が通っていたお絵かき教室はちょっと変わっていて、子どもも大人もいっしょに習うんです。おやつが出るのが楽しいということもあって(笑)、高校を卒業するまで通っていました。当時はまだイラストレーターという職業を知りませんでした。ミヒャエル・エンデやコロボックル物語などの童話が好きだったので、絵本の挿絵画家になりたいと思っていました。

●どうしてセツ・モードセミナーを選んだのですか。

芳野:きっかけは、『イラストレーション』という雑誌でした。
この雑誌の特集でセツのことが紹介されていたんです。高田理香さんとか、今でも活躍しているセツ出身の人たちのイラストが載っていて、初めてイラストレーターという職業があることを知りました。また、当時持っていた本に載っていた寺門孝之さんの絵が素敵だと思っていて、プロフィールを見たら寺門さんもセツの出身だったんです。それでセツにいこうと決めました。

入学してみると、技法を学ぶための授業は1つもなくて、ひたすら水彩か鉛筆で人物を描くんです。思い思いに描くという考え方で、特に指導もありません。同じモデルさんを描いても一人ひとり違ったものになるので、他の人の絵と比べたり、自分で構図を探したりすることが勉強になりました。

セツ先生の講評はすべての絵を並べて、先生がいいと思われた作品の良いところを褒めるというものでした。あくまでも長沢節という個人の目で選ぶものなんですが、先生が私の作品の面と色をほめてくださった時はとてもうれしかったです。当時は先生の描く絵をじかに見ることもできて、とても刺激的でした。

この頃に、私は線画よりも面と色が向いているということに気がつきました。同級生は自分よりも少し年上で社会経験のある人が多くて、音楽や美術に詳しい人に囲まれて楽しい毎日でした。

●卒業後、フランスに留学したきっかけは。

芳野:父が若い頃、フランスに留学していたので、私にもフランスに留学したらいいと勧めたんです。いい経験になるし、パリに知り合いがいて安心だからと。ただ、語学留学ではもったいないと思い、少し考えてリトグラフを勉強しにいくことにしました。

シャガールやパツォウスカーというチェコの絵本作家の作品を見て、リトグラフの作品が素敵だと思っていたので、やってみようと。リトグラフは面と色の表現なので私に合っていて、毎日ひたすら取り組みました。銅版画も少しやりましたが、こちらは線が生かされるものなので、この時に自分に合った表現がはっきりと見極められたと思います。

留学中は絵画展、映画、バレエなどを積極的に見にいきました。学割がきいて1000円前後で見ることができたんです。旅行も「今しかない」と思って、バックパッカーの旅をしました。当時はまだ安全だったので、フィルムのコンパクトカメラを持ってモロッコなどに行きました。

社会人として働きながら作品を発表

●帰国後はどうなさっていたんですか。

芳野:帰国していきなりイラストレーターになるのは私には無理だと思い、4〜5年は社会人として経験を積もうと決めて、東京・府中にあった書店で契約社員として働きました。

そこでは学習参考書を任されて、仕入れから売り場構成、版元の営業さんの対応まで、すべて1人でやりました。書店員の仕事は思ったよりも忙しく、自分でお店をやっているような感覚でした。売れ筋ばかりでなく、マニアックなものも仕入れてみたり、本の内容に合ったイラスト入りのPOPをつくったり。版元の営業さんや取次会社の人とやりとりすることで、一般常識だけでなくコミュニケーション力も身についたと思います。また、毎日のように売り場にいると、どんな本が目立つか、売れやすいかということもよくわかりました。

●その間、絵は描いていたんですか。

芳野:はい。仕事が終わってから家でリトグラフの版に絵を描いて、休日に版画工房へ持っていって刷るんです。リトグラフの制作には大きな機材が必要なので、工房がないとできません。その工房は国立市にあって、今も使っています。

展覧会も開いていました。最初は帰国してすぐ、友人が経営する喫茶店でした。そこに来た方のお声がけで、次は代官山のサンドイッチ店で1カ月くらい。すると今度は、それを見た六本木のビルの関係者の方が声を掛けてくださり、アクシスギャラリーで個展ができることになりました。

その頃すでに書店員として4〜5年働いていたので、仕事を辞めてイラストレーターとしての名刺をつくり、個展で配ることにしました。どうやって仕事がくるのかよくわからないまま、漠然と「なんとかなるだろう」という根拠のない自信がありました。

●そのうちに作品を見た人から依頼が来るようになったんですね。

芳野:契約社員で働いていた頃からホームページにリトグラフ作品を出していたので、それを見て仕事を依頼してこられることがありました。

自分から売り込みにいくことは今まであまりしていません。それよりも個展を大事にしていました。個展に来てくださる編集者やデザイナーの方は私の作品に少しでも興味を持ってくれている人だから、名刺交換をして、後でイラストレーション作品のファイルを送ったりしています。

展覧会のDMのリトグラフ作品を見た出版社の人から、占いの本の表紙を頼まれたこともあります。その時は「どうしよう」と試行錯誤して、アクリル絵の具で描いた絵を使いました。
年に1回の個展はずっと続けていました。そこで作品が売れたら、売上を新しい作品の制作に回すというかたちでやっていました。また、ポストカードをつくって雑貨屋さんに置いていただいたところ、そのポストカードを買った出版社の人からイラストの仕事を頼まれたりもしました。

「イラストノート」No.29(2014年)で紹介していただいたのがきっかけで、テキスタイルの仕事を頼まれるようにもなりました。メディアに出ることも大切ですよね。
仕事がいただけるのもうれしいし、作品が売れてどこかのお家の壁に飾られるのもうれしいです。

理想の表現を求めて試行錯誤の日々

●お仕事ではPhotoshopを使って描いているんですか。

芳野:いえ、絵は手描きで、Photoshopを使って色づけしています。リトグラフは版画工房へ通わなければならないし、色の数だけ版に絵を描かねばなりません。3色刷りでしたら、最低制作時間に3日間はかかります。版画工房を利用できるのは週に1日ですし、制作途中で失敗もするし、最終的に修正がきかないので、仕事で描く時は手描きをするしかありません。

そこで、手描きの絵をPhotoshopでリトグラフと同じように1色ずつ重ねて、リトグラフのような表現を再現しています。初めのうちは、Photoshopは使わず、色鉛筆やアクリル絵の具で手描きでしたが、紙に印刷すると色が思ったよりも薄かったり色味が違っていたりして、なかなかうまくいきませんでした。リトグラフは色面が大切なので、どうにかして再現したいとPhotoshopを使い試行錯誤を重ねるうちに、うまくいくようになりました。

●昔の作品と比べると、少しずつ色が明るくなってきていますね。

芳野:そうですね。留学していた頃の作品は色が暗めのものが多いです。明るい色だけでリトグラフ作品を作るのは色の重なりが難しくて、全色刷ってみたら作品の印象がぼやけたりしてしまいました。初めはシアン・マゼンタ・イエローの3原色に限定して、色の出し方を研究していました。だんだん明るい色を取り入れて刷れるようになってきたんです。
今でもひたすら試作を重ねます。好きな色や形にマイ・ブームのようなものがあって、「しばらくはこれでやってみよう」というふうに決めて、どういう表現ができるか実験しながらつくっていくんです。

●収入が安定し始めたのは、いつ頃なんですか。

芳野:ここ数年で収入は年間でみると少しずつ安定してきました。ただ、忙しい時と、そうでもない時の波があって、不安に襲われることがあります。そうこうしているうちに、次の仕事が入るという繰り返しです。
いろいろなところからオファーが入るようになったのは、ここ数年のことです。過去に組んだデザイナーや編集者が何度も声を掛けてくれることが増えてきて、うれしいです。

月刊誌や企業パンフレットの表紙や挿絵を1年間担当させていただいたことは、とてもいい経験になりましたね。1年を通してシリーズで描かないといけないので、単発で描くよりも工夫がいります。
いつも心がけているのは、自分の好き嫌いだけで絵を描かないということ。説明的なイラストレーションよりも、印象を伝えるイラストレーションの依頼が多いこともあって、いただいた仕事の内容に対して、人が見てどういう印象を受けるか考えて描いています。不安な内容を和らげる目的の絵なら、見て気持ちが軽くなるか?不安にさせてないか?などを心がけています。

この仕事を長く続けるには、工夫が必要

●プロとして、どんなことを心がけていますか?

芳野:仕事はそれぞれクライアントによってやり方が違ったりもしますし、1人で仕事をしているとわからないこともあります。わからないことはそのままにせず、同業の先輩に相談するようにしています。

それと体調管理です。個展前など制作が佳境で、そこにイラストの仕事も重なっているような時は体調を崩しやすいんです。休む暇がなくて高熱を出したり、貧血を起こしたり、じんましんが出たり…。個展も仕事も替えがきかないので、休みたくても休めません。そこで、最近はいろいろと工夫するようになり、体調を崩さなくなりました。

特に気をつけているのは食生活。食事が乱れると体調も乱れるので、自分で料理をして、バランスよく食べるようにしています。料理はもともと好きですが、頭がからっぽになるので気分転換にもなっていいんです。

また、1日1回は近くのお店に食材を買いに出かけたりもします。忙しい時こそひたすら仕事だけをしていると疲れてしまい、仕事にも良くありません。
Photoshopの画面を長時間見ていると、だんだん色の判断がしにくくなるので、目を休めるために10〜15分ほどの短い昼寝をして感覚と集中力を回復させています。
今住んでいる街には同業の友人がたくさんいるので、時間がある時は集まってごはんを食べたり、楽しく過ごしています。折り畳み自転車で散歩をするのが趣味で、電車に載せて青山まで行ったりもするんですよ。

●今後の目標は。

芳野:もう少し積極的に営業活動をしたいところです。絵本の挿し絵の仕事がしたいので、そのためのラフをつくったり、展覧会で新たな交流を広げたいと思います。ネットに作品を上げておくだけでなく、展覧会で直接人と会って話すことが大切ですね。
どんな仕事も全力投球で頑張って、その結果プロとして長く続けていけたらいいなあと思います。

 

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