Creator's Value クリエイターズ・バリュー

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堀川 理万子

堀川 理万子Painter and Picture book writer

Horikawa Rimako

http://www.rimako.net

●PROFILE
東京生まれ。1989 年 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。1991 年 同大学院修了。修了制作でサロン・ド・プランタン賞を受賞。画家として東京都内を中心に個展・グループ展を開催しながら、絵本の挿し絵・装画などを多数手掛ける。また『ぼくのシチュー、ままのシチュー』(初版 ハッピーオウル社、現行 復刊ドットコム)、『くだものと木の実いっぱい絵本』(あすなろ出版)などのオリジナル絵本も手掛けている。

若いうちに幅広く吸収し、基礎を叩き込んでおけば“長距離ランナー”になれる。

若いうちに幅広く吸収し、基礎を叩き込んでおけば“長距離ランナー”になれる。

画家や絵本作家、イラストレーターとして幅広く活動を続ける堀川理万子さん。「新たな課題に取り組むたびに、『イメージしたものが描けない』『こんな絵はもうダメ』と“生みの苦しみ”にさいなまれる」と語るいっぽうで、「描かずにはいられない」とも。プロとして絵を描き続ける力は、いったいどのように育まれてきたのだろうか。
(聞き手 クリエイターズ・バリュー編集部 文・中山薫)

貪欲に学び、描き続けた学生時代

●幼少期はどんなお子さんだったんでしょうか。

堀川:お客さんの靴を隠したりして、こっそり自己主張をするのが好きな、いたずらっ子でした。
父は絵画を集めるのが趣味で、母も美術好き。ル・コルビジェや田崎廣助の作品や、いろいろな絵本が家にあって、当時から絵を描くのが好きでした。
幼稚園の頃、5歳くらいで石膏を彫ってバナナやリンゴをつくり、色をつけたりして、そんな自分を「いける!」と思っていましたが(笑)、小学時代は私にとって暗黒時代。図工を担当していたのが東京藝術大学(以下 藝大)出身の怖い先生で、忘れ物をすると何もやらせてもらえなったりして、楽しい時間ではありませんでした。それに、姉といっしょに週1でお絵かき教室に行っていたのですが、ほめられるのはいつも姉のほうでした。
唯一の救いは、私と同じように絵を描くのが好きな友達がいて、その友達が私の絵をほめてくれたり、「色が今までと違う」などと気づいたことを指摘してくれたりしたこと。そこのお家にも素敵な絵や絵本がたくさんありました。

●絵を描くことが好きだと自覚したのは、いつ頃でしたか。

堀川:中学時代は、国語の教科書に挿絵をつけることが好きでした。お話の内容に合いそうな絵を勝手に想像してつけたり、どんな時代だったかなどを調べて描くんです。「私は絵が好きなんだ」と、はっきり自覚したのがこの頃。
私はもともと静物や風景を写し取ったような絵は描きませんでした。絵画というより、イラストやデザインに近いんです。それが中学の時に文化祭のポスターに使われるようになって、自分の作品が印刷物になる楽しさを知りました。

●それから藝大を目指して予備校へ通い始めたんですね。

堀川:はい。高校時代、代ゼミ(代々木ゼミナール)の造形学校に通い始めました。面白い人がたくさんいて、お互いの作品について意見を言い合ったりして、友人がたくさんできました。そこで基礎をとことんやりました。静物も風景も、ビシッと描けるようになるまでやる。見たままに写しながらも、誰が描いたかわかるように描けるのがカッコいい!という世界です。高校のほうも美術の時間は楽しくて、絵本をつくる課題で先生に評価してもらうことができました。
1回目の受験では藝大に合格できず、大好きな梅原猛さんが学長をなさっていた京都市立芸術大学に進学しましたが、やはり東京に戻りたくなって中退しました。2回目に合格し、デザイン科に入学。この科は“ミニ藝大”という感じで、絵画はもちろん、工芸、立体も何でもあり。好きなことをやらせてもらえて、半年に1回の課題も自由で楽しかったですよ。

また、デザイン概論やグラフィックデザインの技法なども学びました。アナログ時代ですから、カラス口で線を引いたり、レンダリングでクルマを描いたり。特に好きだったのは美術解剖学。人体の構造を理解して作品に生かそうとする学問です。
デザイン科の授業だけでは飽きたらず、油絵科の授業にも混ぜてもらって、何でもやりました。当時はバブル経済の影響で世の中のムードが良くて、国内に留まらず海外にまで足を運んで、いろいろな作品を見たり、本を読んだりして、インプットにも貪欲でした。

売れることは大事。でも売るために描くのではない

●学生時代は、学ぶ以外にどんな経験をなさったんですか。

堀川:初めて仕事をいただいたのが在学中でした。当時、ブックデザイナーの平野甲賀先生がデザイン科にいらして、私が描いたパステル画を「ちょっと貸して」とおっしゃって。出版社の方に見せてくださったらしく、先生がアートディレクションを手掛けた本(横山貞子著『老い、時のかさなり』晶文社)の表紙にその作品を使ってくださったんです。これが初めての仕事です。
3年の時に視覚デザインを専攻し、自分が描きたいフォルムや世界観をどう表現すればいいか、わかりかけてきたのがその頃です。そこでもう少し時間が欲しいと思って大学院の研究室に進み、テンペラが自分に合うということがわかったんです。

この頃、福武書店で福武文庫を立ち上げようとしていて、その担当者が研究室に人材探しに来た時に、私のパステル画やテンペラの作品を見て児童図書出版協会の仕事を紹介してくれました。それがきっかけで、少しずつ絵の仕事をいただくようになりました。
同時に、研究室で紹介された画廊で個展を開くようにもなりました。景気が良かったこともあり、作品がよく売れて、定期的に個展を開催することができました。

●就職活動はしなかったんですか。

堀川:いえ、したんです。日本の有名な女性デザイナーのファッションブランドに就職先が決まりましたが、景気に押されて仕事がたくさん入るようになって。悩んだ末に入社をご辞退し、それから一度も就職しないまま、ひたすら絵を描き続けています。

●デザイン科で学んでこられたこともあり、堀川さんの絵にはデザイン的な要素があって、それが幅広いお仕事につながっているのでしょうね。

堀川:ブックデザイナーの菊地信義さんとお仕事をした時に、「あなたの絵には欲しくなる要素がある」と言っていただいたことがあり、クライアントから依頼されて制作する商業的な仕事と、自分の作品を売るというアートの領域がうまく影響し合っているのかなと思います。
自分が好きなものや描きたいものの中に、世の中で多くの場合「いい」とされているものが割とあるようだと気づいた時に、やっていけそうだとは思いました。たとえば子どもの頃に読んでいた月刊マンガ「りぼん」や、サンリオの世界の中に感じた、ふっくらと膨張しているものが好きでしたし、いわゆる名画ならフェルメールが好きだったんです。自分がいいと思えるものと、世の中でいいとされているものがうまくリンクされているということは大事だと思っています。

ただ、売れる理由を分析したり、“売れ筋”を意識して描くようなことはありません。そういうことに時間とエネルギーを使いたくなくて、私はどんどん脱ぎ捨ててしまうんです。もちろん、たくさん売れたほうがいいし、お世話になっている皆さんのためにも売れなければいけないんですが、かといって「売れること」を求め始めたらおしまいだと思っています。
“売れ筋”や“トレンド”を意識して描くのではなくて、今という時代を生きて、その空気を作品に反映するということだと思います。

若い時に培ったものが将来の自分を支える

●絵本のお仕事では原作もなさるようになって、どんどん幅が広がっていますね。

堀川:本の表紙や児童書の挿絵の仕事をしているうちに、絵本にも絵をつけるようになり、そのうち「絵だけでなくオリジナル絵本もやってみませんか」というお話をいただくようになりました。絵本作家としての一作目は2005年に出版された『ぼくのシチュー、ままのシチュー』。岩崎書店にいらした編集者の方が独立して始めた出版社で、よい経験をさせていただきました。子どもが読むためのおはなしを考えるのはとてもたいへんなのですが、絵本の仕事の醍醐味は、やはりオリジナルだと思います。

とにかく、私にとってらくな仕事は一つもありません。6年くらい前に自分の絵がこなれてきたというか、固く冷たくなってきたことを実感して、「もうこんな絵はダメだ、やめたほうがいい!」と思ってしまって、500円玉より大きなハゲができてしまったんです。それまでにも思ったように描けなくて苦しむことは何度もありましたが、「やめちゃう」とまで考えたのはあの時が初めてでした。

●割と最近の話ですよね。どうやって乗り越えられたんですか。

堀川:どんなにつらくても描くしかないんです。必死で試行錯誤しているうちに、なんとか描ける。この繰り返しです。なんだかんだ言って、描かないでいるとストレスが溜まってイライラするので、やっぱり好きなんですね。この仕事をしている人はみんな同じだと思いますが。
元気を取り戻して、ここ2年くらいで「変わったね」と言われるようになりました。以前の私は内側にばかり向いていて、自分のことしか考えていませんでした。それが年齢的に大きな節目を迎えて、このままでは先細りになるなと思ったんです。

それからは「人のためにやる」という意識を持つようになりました。たとえば本をつくるにも、私一人ではなくみんなでつくるという意識を持つこと。タブロー(絵画作品)にしても、個展ばかりでなくグループ展を積極的に企画しています。
今は人に関心があるので、一緒に組むのが楽しい、面白いと思ってもらえるようになりたいという気持ちがあります。目標は5年後、10年後に海外で展覧会を開くこと。仕事をしながら新しいものを補給していく“空中給油”を続けていって、いつか「世界中が敵に回っても大丈夫です」と言えるようになれたら嬉しいですね(笑)。

●最後に、若い人たちへのアドバイスがありましたらお願いします。

堀川:若い頃の吸収力は絶大なものがあるので、いいとされるものは何でも、そうでないものもできるだけ幅広く触れることが大切だと思います。本、映画、音楽、絵画など、好き嫌いをしないで何でも見たり聴いたりすること。それから、おなかが減っても本は買うとか、知的好奇心に時間・労力・お金を惜しまないでほしいですね。
もう一つ大切なのは、基礎を繰り返しトレーニングする根気は若い時にしか培えないということ。何千枚、何万枚と練習しておけば、「あなたのこのアイデアはダメ」などと言われることがあっても、ゼロからやり直す勇気や、別のアイデアをいくらでも出せるような力が蓄えられるはずです。


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